先日、次なるリトリートの下見に出かけました。
これはその日に起こった話。
目的地を決めるのに、同行してくれる友人と相談していたのだけど、どこもなぜかしっくり来ず…
カードを引いて、結局、とある場所に決定し、迎えた当日。
参拝したお社はとても素敵で、リトリートは楽しみでしかないし、
案内してもらったカフェはコーヒーもおいしく、落ち着いた雰囲気、
これならお客様にも喜んでいただけそう。
申し分のない、という言葉がぴったりな一日…
けれど、私にとってなにか未完了な感じがしていました。
そこは、私が子ども時代を過ごした町にほど近く。
当日の朝、ふと。
時間があったら、あのお社にご挨拶に行こうかな…
と、心をよぎった神社がありました。
子どもの頃、通学路の途中にあった、鎮守の神様。
ちょうど曲がり角にあったので、境内をランドセルで通り抜けたことも。
寄り道の定番スポットでもありました。
その町を離れて、何十年も経って、『日本の神様カード』にふれて…
数年前に、はじめて御祭神を知りました。
その神様は、私にとって、どこか腑に落ちる、そんな神様でした。
(ここでは、御神名は伏せさせていただきます)
そのことを知って以来、気になっていたのに、なぜかずっと二の足を踏んでいました。
それは、もし、お詣りをしたなら。
自分を守っている「殻」のようなものが、バラバラに砕けてしまうような…
そんなおそれを感じていたからかもしれません。
詳しくは伏せますが、とあるかたから、
この神様は、魂を磨く神様だと
生半可な気持ちでご縁をいただく神様ではない、と
教えていただきました。
それも心にひっかかっていたのかもしれません。
けれど、時満ちて、わたしは数十年ぶりに懐かしい町に降り立ち、そのお社に向かいました。
町はかなり様変わりしていて、違う町のようだったけれど、道はすぐにわかりました。
駅から15分くらいは歩くように思っていたけれど、実際は5分ほどでした。
道幅は記憶よりもかなり狭かったけれど、間違いなくこの道。
目の前に、お社があらわれた時には、そこにあることがわかっていたのに、なぜかドキッとしました。
お浄めをして、拝殿に手を合わせてから、境内を歩きました。
片隅に碑が立っていて、それを読んだ時、なぜかとても腑に落ちた感じがして
その途端に何かがこみあげてきて、ただ泣きました。
悲しいとか嬉しいとか、そういった感情を一切伴わない、ただ堰を切ったように内側からあふれ出てくる涙でした。
お詣りに行く先々で泣いているわけではない(というか、こんなことは滅多にない)のですが、時々、必然と思われる時と場所で、何かが起こります。
その反応が起こる場所は、私の魂にとって、特別な場所なのだと思います。
(そして、その反応は、人によってさまざまだと思います)
このお社は、リトリートでどなたかをお連れするような、見どころのある場所ではなく、とある町の鎮守の神様なのですが…
私にとっては、ナーランダ以来の、激しい反応が起こった場所でした。
友人が一緒だったのですが、この人はいつもはよく喋って、話の弾む人なのですが、この時は私を完全に放置してくれました。
彼女とご一緒するのも、何か趣を感じる流れでした。
閂のようなものが、かすかな音を立てて外れたような、そんな感じがしました。
きっと、そうしょっちゅうではなく、むしろごくたまに…かもしれないけれど。
私はきっと、ここにまた来るでしょう。
魂の記録、私の「ぼうけんのしょ」を、更新したいと思った時に。
…これは私の、ちいさなサンクチュアリの話。
お読みくださり、ありがとうございました。
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誰にでも、ひとつふたつ、そんな場所があるんじゃないかな。
『魂のリトリートクラブ』で、そんな場所をみつけるお手伝いもできるといいな。
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